第18章 ペニシリンアレルギーの患者
しばらくの間、彼らはセブンスデー・アドベンチスト教会ポンティアナック診療所で奉仕していましたが、その中で多くの体験を積むこととなりました。この診療所では、通常100人から150人の患者を毎日診ており、勤務時間外にも患者対応がありました。
ある日、まだ多くの患者が待っていた中、一人の父親が急いでやってきて、膝の上に7歳くらいの子どもを抱いていました。その子は意識を失い、顔色は青く、ぐったりとしていました。子どもは待合室の患者たちの間を通り抜け、緊急治療室に運ばれました。
その子はその朝すでに診察を受けていました。患者記録によると、発熱、咳、喉の痛みを訴えて来院したとのことです。以前も同じような症状で来院しており、その際はペンストレップ(ペニシリン+ストレプトマイシン)の注射、咳止め、解熱剤が処方され、すぐに回復したとのことでした。そのため、今回も同じ症状であること、そして前回の治療が非常に効果的であったことから、ペリーは同様にペンストレップの注射と薬を処方しました。
その後まもなくして彼らは診療所を後にしましたが、帰宅途中で子どもにアレルギー反応が起きました。すぐに再び診療所に運ばれ、緊急の処置が行われました。しかしそのとき、診療所には酸素が備えられていませんでした。ペリーが心拍を確認すると、不整脈があり、循環器系にも障害が出ていることがわかりました。体の各部がすでに青く変色していました。見た目だけならば死亡しているように見えましたが、聴診器で心音を確認すると、微かに不規則ながらもまだ心音が聞こえました。そのため、蘇生の可能性がまだあると判断されました。
その時点で、筋肉注射による抗ヒスタミン剤の投与では効果がないとペリーは判断しました。別の方法を取らなければならなかったのです。彼はアドレナリンを注射器に取り、長い注射針を求めました。祈りと信仰を込めて、そのアドレナリンを直接心臓に注射しました。針を心臓に刺し、血液を吸い上げた後、すぐにアドレナリンを注入しました。すると、数秒のうちに子どもが手足をピクピクと動かし始めました。すぐに抗ヒスタミン剤など必要な薬剤が追加投与され、回復の兆しが明確に見えてきました。
順番を待っていた他の患者たちも、この緊急処置の重要性を感じ取っていました。診療所のスタッフ全員が、この一人の患者に集中して対応しました。そして間もなく、子どもは意識を取り戻したのです。まだ弱々しい状態ではありましたが、命を取り留めました。
彼らは、すぐには帰宅しないようにと家族に伝え、観察室に子どもを寝かせ、他の患者の診療を続けました。他の患者たちはだいたい皆、この子どもの状態についてペリーに尋ねましたが、彼は「もう回復しています」と答えました。多くの患者は、来院時にすでに死んでいるように見えた子どもが回復したことに感動し、ペリーが「これはすべて神様の祝福のおかげです」と言うと、皆がそれに同意して頷きました。
その日の午後、すべての患者の診療が終わり、帰宅の時間となった時、彼らはその子を連れてクリニックの出口まで歩きました。別れ際、その子の父親はペリーにこう言いました。「先生、そんなに気を病まないでください。すべての患者がここで治るわけではないことはわかっています。もしすべてが治るなら、この診療所の前にある墓地は必要なかったでしょう。息子が回復してくれて、心から感謝しています。」その言葉は、ペリーにとって大きな励ましとなりました。父親には、ペリーの表情がとても緊張して見えたようです。
約3年後、ペリーは用事があって、町からシアンタンへカプアス川を渡る必要がありました。その日は早朝で、当時はまだ橋がなかったため、舟で川を渡っていました。川の中ほどで、舟の漕ぎ手がこう話しかけてきました。「先生、以前瀕死の状態でアドベンチストの診療所に運ばれた子ども、覚えていますか?あの子、それ以来まったく病気にもならず、元気に過ごしていますよ。」最初はペリーも、亡くなったという知らせかと思いましたが、逆でした。「神様の祝福に感謝です」とペリーが答えると、漕ぎ手も嬉しそうな顔で微笑みました。