第19章 神の僕としての夫妻の献身
ある日、西カリマンタン教区のいくつかのセブンスデー・アドベンチスト教会の診療所で6年間奉仕した後、ペリーとレリース夫妻は、「神の働き」とは一体何かを考え始めました。朝の黙想の時間や他の機会でも、私たち全員が「神の働き」に励むようにと常に言われていました。
彼らは、診療所から得たお金が伝道者、教師、その他の伝道従事者の給与を支払う上で非常に重要であることを知っていました。診療所の財政的支援なしには、この教区は存在できず、または維持できません。しかし、彼らの心は絶えず問いかけていました。本当の「神の働き」とは何か?診療所の文脈で言うなら、神の仕事は病気を治すことだけなのか?もしそうなら、より多くの患者が毎日訪れる総合病院の方が神の仕事を多くしているはずです。総合病院には患者があふれていますが、セブンスデー・アドベンチスト教会の診療所に来る患者は毎日100〜150人程度です。彼らは午前7時30分の開院から午後4時30分まで患者の対応に費やし、その後も勤務時間外に救急患者の対応に備えています。そのため、病気の人々を看護する以外に他の人と交流する時間や機会はほとんどありませんでした。
本当に知るために、彼らは何度も心を込めて祈り、断食までしてその答えを求めました。ほぼ2ヶ月にわたり、毎朝夕の家庭礼拝で祈り続けました。
そしてついに答えが彼らのもとに訪れました。神の働きとは、イエス・キリストを通して神がすべての罪深い人々に与えられた救いの知らせを宣べ伝えることだと。病気の人の肉体的な癒しだけで終わってはならないと。この救いの知らせを伝えるのは牧師だけの役割ではなく、神に召されて来たすべての人の使命です。召されて神のもとに来た人は、すべての人にこの救いの知らせを宣べ伝えるように遣わされます。その時点で彼らはまだその使命を十分に果たしていないと感じ、神の愛をすべての階層や人々に伝えることにより深く関わるよう召されていると感じました。
そして彼らはこの召命の務めを実行することを誓いました。それは彼らに、もう伝道職員でなくてもこの使命を果たせるのではないかと考えさせました。むしろ伝道職員でないほうがより自由にできると感じました。
最終的に、彼らは生涯を通じ、どこに住んでいても救いの知らせを伝える奉仕をすることを誓いました。この誓いをよりよく実現するために、彼らは伝道職員を辞め、自分たちで診療所を開くことを決意しました。そうすれば、より自由にこの誓いを実行できるからです。こうして6年間務めた西カリマンタン教区のセブンスデー・アドベンチスト教会診療所(セダウとポンティアナック)を離れ、ポンティアナックから北スマトラのインドラプラへ移住しました。
その誓いを心に留め、インドラプラ市に自分たちの診療所を開設しました。そこでは、患者からの治療費の徴収を柔軟に行うことができました。ペリーと妻のレリースはそれぞれ患者の治療に携わり、患者とより多く交流する時間を持てるようになりました。
インドラプラに移った当初は、伝道者の家族を含めて3家族だけが所属する分会の安息日学校がありました。彼らは通常、教会員の家で礼拝を行っていました。
彼らの参加でその分会は活気づき、やがて仮教会堂を建てて礼拝の場としました。信者が増えたことでインドラプラ分会は正式に教会となり、彼らは教会の成長と強化に積極的に取り組みました。インドラプラで3年半奉仕した後、教会設立・組織化を終え、彼らはリアウ州のペカンバルに移りました。
リアウ州のペカンバルとドゥリで22年間過ごしました。その間、彼らは誓いを忘れず、教会や信徒のリーダーとして奉仕し続けました。安息日学校のリーダー、伝道部のリーダー、そして長年にわたり長老を務めました。ペリーはペカンバルとドゥリの両教会で学校委員会の委員長も務めました。彼らは無料診療(チャリティクリニック)を通じて地域社会への奉仕も積極的に行い、レリースは妻や母としての役割を担う女性たちの育成にも力を入れました。
レリースは学校建設のための資金集めを目的としたバザー開催を積極的に支援しました。当時、ペカンバルのセブンスデー・アドベンチスト教団の小学校・中学校は学習用の教室が不足していました。長い努力の末、彼らは立派な校舎を建設できました。レリースは教会の女性たちの指導にも積極的で、妻として、母として、また教会員や地域社会の一員としての使命を深く自覚するよう導きました。
同様に、ドゥリの小中学校でも、彼らは必要な校舎建設のための資金調達に疲れを知らずに取り組みました。教会の仲間たち、例えばイファント・ハウマフ兄弟、W.L.トビン兄弟らと協力して学校の発展に努めました。
当時直面した二つの緊急課題は、まず教室や事務所施設の建設、次に生徒数の増加でした。5年間で多層の校舎を完成させ、児童・生徒数を100人未満から800人以上に増やし、教員の質も十分に整えました。
リアウでの期間中も、彼らは救いの知らせをすべての人に伝える誓いを決して忘れませんでした。そのため、教会や学校の指導のほか、さまざまな場所で無料診療奉仕を積極的に行いました。22年以上ペカンバルとドゥリで奉仕した後、1995年にリアウを離れバンドンに移住しました。しかし、彼らの誓いは「引退」を知らず、決して「引退」しません。バンドンでも教会活動に熱心に参加し、数年間セブンスデー・アドベンチストのチハンペラス教会の長老の一人として務めました。さらに、西ジャワ教区の執行委員を2度務め、教区の各種委員会や、バンドンのセティア・ブディ・セブンスデー・アドベンチスト学校の学校委員会にも参加しました。
年齢は高齢になっても誓いは忘れてはなりません。76歳を超えてもペリーとレリースは静かに座って誓いを忘れることを望まず、神の働きを続けています。近年は「活性炭」(チャコール)を薬として普及させる先駆者となっています。そのため、西ジャワ教区、ジャカルタ特別州教区周辺、さらには北スマトラやリアウの各教会でセミナーやチャコール粉末の使用訓練を開催しています。アドベンチスト信徒がチャコール粉末を「道具」として使い、隣人や交流する人々に祝福をもたらし、友情を築き、その結果救いの知らせを伝える道が開かれることを願っています。これが彼らの夢です。
さらに、彼らはチャリティクリニックや各地での伝道講演会(KKR)などの奉仕にも積極的に参加しています。ジャカルタ、中部ジャワ、スマトラ、東カリマンタン、そしてインドネシア各地で奉仕活動を続けています。彼らは、救いの知らせを伝える誓いに忠実である限り、神が力と健康を与えてくださると信じています。健康と力がある限り、彼らは伝道看護師としての賜物を生かし、健康分野で神の仕事を支える奉仕を続けることでしょう。アーメン。